更新日:2011年6月13日
東日本大震災により被災した釜石市では、JR釜石駅近くの「シープラザ釜石」で生活再建に関わる支援(相談窓口・各種申込みなど)や市役所の窓口業務が行われており、震災後、大阪市も同施設に現地対策本部を設置し、釜石市内における行政支援の取り組みが続けられています。
市労連は、大阪市からの協力要請を受けて、釜石市内の避難所運営にかかるボランティア支援を行うため、4月18日(月)~5月4日(水)にかけて、釜石のぞみ病院内にある避難所等へ組合員の参加を求め、述べ10人で支援活動に取り組んできました。以下は、参加者からの報告の一部を紹介します。
私が参加したのは、支援がスタートした4月18日からの5日間で、釜石のぞみ病院内にある避難所での支援活動でした。この施設は、釜石港沿岸部の市街地に位置しており、1階フロア部分は津波の影響を受けて使用不可となっていましたが、付近の建物がほぼ全壊状態であったことと比べると、地震による施設そのものに対する大きな被害はなかったとのことでした。この施設は釜石市保健福祉センターとの併設で、2階が保健福祉センターの事務室、3~7階が病院となっており、同センターの研修室及び会議室であった8~9階を避難所として活用しており、私たちの支援活動期間中には約70名の被災した方々が入居されていました。
避難所では、地震が発生してすでに1ヶ月以上経過していたこともあり、食事の準備や掃除、支援物品の仕分け等の担当が割振りされているなど、入居者自らによる自治が確立されており、また、病院との併設施設でもあることから、レジオネラ菌や結核など感染症予防など衛生面でも徹底されていました。
主な支援活動としては、被災された方々とともに避難所に寝泊りし、起床から就寝までの間、入居者の人数把握や体調の把握を行うとともに、被災地域に関する復旧状況や市役所からの行政情報など、日々変化する最新情報を入居者の皆さんに届けてきました。特に、衛生面や寒さ対策など入居者の体調管理には気をつける必要があったことから、釜石市の職員とも連携を密にしつつ日々の情報交換を行うとともに、日常生活に必要な支援物資は一定程度整っていましたが、入居者からは個別要望も多く、希望に沿うよう支援活動に取り組んできました。
地震発生直後には、付近の住民数百名が避難してこられたとのことで、ライフラインがすべて途絶えた状態で、外部情報が遮断され、職員も家に帰れない、家族との連絡も途絶え安否確認すらできない中で、センターの職員、病院の医師・看護師が避難された方々への支援対応を第一に取り組んでこられたことを、当時の状況を思い出し時折涙を浮かべながら説明される釜石市職員の話を聞き、胸が熱くなりました。そして、何よりも、被害にあわれた方々がそうした苦難を乗り越え、市内各地から避難された方がお互いに協力し合いながら、避難所生活の自主的運営に向けて努力されている姿を目の当たりにし、何か役に立てないものか・・との思いを強くすると同時に、一刻も早い街の復興が求められていると強く感じました。
避難所生活が長期化している中で、肉体的にも精神的にもかなりの疲労が蓄積されているにもかかわらず、遠く離れた大阪からやってきた私たちを快く受け入れてくださり、逆に何かと気にもかけてくれました。
被災者の皆さんが安心・安全が実感できる生活、住み慣れた故郷に戻れるにはまだまだ道のりは遠いです。今後も、センターで明るく接してくださった方々の気持ちを忘れず、微力ながらできることは続けていこうと思います。
<参加者 I.M>
1日のスケジュール
6:00 起床
6:30 避難者の点呼・体調確認など
7:00 朝食
8:20 ミーティング(2階事務所)
入居者数の報告。災害対策本部からの情報など、掲示物の受け取り。
終了後、掲示物の張り替え、各フロアーの巡回、その他。
12:00 昼食
各フロアーの巡回。
入居者からの要望等の対応。
物資搬入等の対応。
17:00 夕食
各フロアーの巡回。
入居者からの要望等の対応。
物資搬入等の対応。
21:00 消灯